ここ数年広島に縁が深まり何度も原爆ドームを見た
あの日炸裂した真下に連れて行ってもらい
空を指して
『ちょうどあの辺りで炸裂したんだよ』
そう教えられた
見上げた空は快晴で
その下には朽ち掛けのあの建物が
あの日のまま残されていた
確か
リトルボーイ投下の第一候補は京都だったと歴史の授業で習った
人口と盆地という地理的な要素が原爆の効果を計るのに最適だったからだと
一部の将校は7月まで京都に落とす事を強く求めたが
結局は文化財の多い京都を破壊する事は
敗戦後の統治活動で日本人の反感を買うから避けられたと
そして最終の候補として上がったのが
新潟
小倉
長崎
広島
アメリカ人
勘違いするな
何処に落としたって差などない
原爆が落とされた事実は
あの日
広島に居た人々とその子孫にとって
今もなおあの日のまま残っている
縁あって酒を飲む仲になった広島縁の友人達の日常にも
必ず1945年8月6日が消えずに残っている
残酷
無数の命を奪い
助かった命の未来をねじ曲げた殺戮兵器につけられた名前
”リトルボーイ”
虫酸が走る
理由なんて興味もない
誰の責任かなんて話してもしょうがない
どんなに深刻に考えても僕も両親も爺ちゃんも婆ちゃんも被爆していない
そんな人間達に当事者の理解は出来ない
でも
起きた事をちゃんと知っておくべきだと思う
あの日の事を教えてくれる人の話
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目をそらさず
耳を塞がず
居ようと思う