秋の光線

季節が秋に向かい始めると
この光線がcassowaryの床を貫きます
暦が進むにつれて
はっきりくっきりと
そして次第に長くなって行きます

八月という月は洋服製作会社としては眠れぬ日々が続くひと月です
お盆という工場の動かない一週間
前後の混雑も配慮すると
ほぼひと月納品がピタリと止まります
今年はそんな中
カットソーを盆明けすぐに投入していただけたり
極小レーベルに対し愛のある工場様に救われております

一時期の酷暑は過ぎ去ったものの
やはり怨念の街京都
風吹けど雨降れど地獄の底から熱気が染み出して来ます
昨日までの涼やかな風も
本日9時をもって初期化されました

されど
確実に秋へのアップデートは進むのです
気を抜いちゃダメなんです
涼しくなったなあ
なんて呟く頃には
私は半袖を企画する日々を送らなきゃいけないので

日常の衣

私が作る服で
おそらく一番シンプルな作品
でも
デザインとしてシンプルでも
そこに理論が存在するものが好きなんです

今回も綺麗なウールのポンチを見つけたました
もちろんいつも通り裏には40/2コーマ天竺を添えました
ウールのカットソーは素肌に着るわけに行きません
チクチクとストレスを与えて来ます
だけど重ね着で下に何か着れば
設計のズレが主役の邪魔をします
だから
同じ設計図で裁断されたコットンを裏に添えるのです

ただ添えるだけじゃmerphの仕事じゃありません
印象的なコントラストを与えます
これは来ているときにちらりと見せるためと皆さん感じられ得るそうですが
作り手としては違う考えで行なっています
私がこういうコーディネートをするのは
洋服が着用時以外も作品として満足のいくものにしたいと考えているからなのです
パイピングや裏地の選び方においても
食事に行った店で預けたコートを店員さんなり
隣の席の人なりが思わず見てしまう
そんな価値をmerphの服にもたせたいのです
一生懸命働いて稼いで来たお金を使っていただくのですから
これを私は”こだわり”とはよびません
”当たり前”と言い続けます

もしうちのスタッフがどなたかに私の服作りに関し
何かしらを”merphのこだわり”と申し上げましたら
すぐに『merphお客様相談室室長 坂井』までご一報ください

大原ヘブンリー三千院

幾分涼しかったとはいえど
30度はしっかり超えた京都市八月十七日の昼下がり
大学時代の親友が京都へやって来たので
まずは25年ぶりに荒神口のうどん屋で名物のカレーうどんをぶち込んで
サンクタム号を大原へ走らせました

街中を出発しておよそ30分
道中の温度計は一つ見つけるごとに気温表示が1度ずつ低くなっていきました
目的地は大原三千院
最後に見た温度計は25度
風も心地よく
持って来たハンドタオルの出番はありませんでした

今年に入って2度目の三千院
あいにく来訪者も多く
加えてせっかちな親友が一緒だったので一服できませんでしが
庭を眺め風が揺らす木々の音は
日頃の不安や焦りをしばらくの間忘れさせてくれました

苔と木々の緑が美しいこの庭も
これから冬への準備に向かいます
次は紅葉のを楽しみに行く予定です
merphの最盛期を優雅に過ごせていると良いのですが

恵の小雨

連日の猛暑
普段なら憎っくき雨も
ありがたく感じます
このくらいの小雨なら
客足に影響もなく
逆に唸るような暑さが和らぎ
夕方まで人気のひく六角通りに途切れることなく方向者が行き交います

成長著しいトネリコたちも日焼けした葉に雫を浴びて
生き生きとして見えます
明日は五山の送り火ですが
どうやらこの雨は明日も続くようです

さてさて
広島が小出しにしてくれておりますが
いよいよ今年のmerphの外套たちが仕上がりつつあります
現状まだ縫製チェックのサンプル段階ですが
ここからは一気に進行します
暦が夜長月を迎えます頃
そのほか
カットソー工場でも新作が複数進行中
ご期待ください

今年はいつも以上に厳しい暑さが続いていますが
その分なんだか秋の雰囲気は早々と近づいているような気がします

京都の東山にある我が家の周りでは
ひぐらしが
鳴き始めました

もうすぐ
秋です

故郷

お盆に先駆け
三日間休暇をいただき実家の名古屋へ帰っていました

巨大都市名古屋
霊園も一つの街の様
いくつものお寺の霊園が
東山の山を埋め尽くしています
久しぶりに我が家の墓を目指すも
道に迷い
少し遠回りになりながら
昔の記憶と
交通ルールを配慮しない母のナビゲーションでようやくたどり着きました

長年仕事が忙しいと言い訳して
盆も正月も名古屋に帰っていませんでしが
両親も歳をとり
私もいい中年になり
今元気に仕事をできていることを
せめてこの二回の日本の休みは実家に帰って家族と過ごすようになりました

縁あって京都に住まうようになりましたが
やはり故郷は大事にしたいと思います
新幹線なら37分
高速で走っても名古屋市内の実家のすぐ近くまで都市高速が走っています
文明都市名古屋の恩恵にあやかり
ちょっと暇ができたら名古屋で休日を過ごすなんて余裕を
そろそろ持てるように頑張りたいと
思ってはいます

ただの洋服屋

ペルセウス流星群がやってくると
11年前の宴を思い出します
この店が始まる夜
同い年の音楽家に門出を祝ってもらいました
あの日トルソーに書いてくれたサインには
2007.8.12と日付が書いてあります

昨日
8月12日はcassowaryの誕生日でした
オープンのあの日を思い出すと11年もの時間を感じないのに
ここでおきた出来事を一つ一つ思い返すと
もっと長い時間が過ぎたように感じます

コンクリートの壁に囲まれ
南と東はガラス張り
ほぼ正方形の空間に
ハンガーラックを数本並べただけの店
そこにやがて家具が増え
バーカウンターができました

ご来店いただいた方の数は一体どのくらいになるんでしょう
簡単な計算でも延べ1万人を超えます
とんでもない数です
できることなら一人一人に感謝を伝えたいところです

この店は『ただの洋服屋』です
そこに誇りを持っています
色々な服屋の形ができて
インターネットでも洋服は買える時代です
でも
自分の店は
私が15、6歳の時に憧れた
街角のあの洋服屋の姿でありたいと思います
これからもっと洋服屋は減っていくでしょう
でも私の思う『ただの洋服屋』であり続けることが
ずっとこの仕事を続けていく唯一の方法だと思います

12年目のこの看板のない店
これからも気が向いたらお立ち寄りください

11年と2年半の物語

朝からずっと仕込み仕事をこなし
少し疲れたのでアーロンチェアをリクライニング解放し
天井を眺めていて気づきました
このコンクリートの箱庭は
来週で11周年です

今シーズンから原点に戻り
私自身が店頭に立ち接客をする時間を増やしました
ほぼ毎日店頭の片隅に作ったデスクにかじりつき
お客さんがいらっしゃったらルームサンダルのまま接客をすると言う日々です
まさに寺町御池の老舗ふとん店の二階でSanctumを始めたあの頃のようです
白髪と体重は増えましたがこのやり方は変えられないようです

11年
寺町御池での2年半を合わせると13年半
一体どれだけの方々にお越し戴き
そして洋服を買っていただいたか
単純に数字で把握せずとも
この半年ここに立ち毎日のように起きる嬉しいエピソードで実感しました

アメリカ フランス イスラエル デンマーク
オランダ ドイツ メキシコ ブラジル 香港
台湾 スイス シンガポール
今思い出すだけでこれだけの国にリピーターがいらっしゃいます
宣伝もせず取材も受けないのに
京都へ来るたびによってくれる方がすでに世界中にいます
大きなレーベルでは驚くことじゃないでしょう
でも私はこれを京都の街角に店を構えるだけで成し遂げました
もちろん海外だけじゃありません
ここで私の洋服を見つけてくれて以来
何年も通ってくれて
彼女ができて結婚し
子供を連れてまた戻って来てくれて
ここでは毎日誰かしらとの出会いとその続きの物語が溢れています

11年
そしてこれからも同じような日々を積み重ねて
meprhというただの洋服を
皆様にお召しいただける様
多少の困難は飲み込んで
大きなピンチは打ち砕いて
前にジリジリと進んでいきます

黙祷と敬意

私の生まれた名古屋も
戦時中は辺り一面焼け野原だったと聞きます
祖父もシベリアで捕虜となり
当然生まれる前の出来事とはいえ
戦争の存在は私の世代にも影を落としていました
その影は広島に比べれば大きくはありません

広島のmerphの部屋はあの日
悪魔の兵器が炸裂した真下にある原爆ドームから歩いて5分ほど
おそらくあの日何もかもが吹き飛び
焼き尽くされた場所だと思います
今その街から感じ得るものはその惨劇ではなく
その地獄から立ち直った人々の生命力です

私たちの国の歴史で最も悲しい日ですが
犠牲になった人々への黙祷を捧げるだけでなく
ここまで立ち直った生き残った人々への敬意も払い
ご縁をいただき関わることができたこの素晴らしい街に
恥ずかしくない部屋にしていきたいと思います

feat.M

もう一年半くらい前に言い出した企画が
ここに来て活発に動き始めました

広島は自分たちの店のピックを作り
素晴らしいパーカを企画しました
これに負けじと
merphはある音楽家と一緒にあの作品を創ります

お披露目は10月になるでしょうか
ご期待ください

京都の引力

東京から新幹線で岡山へ向かう音楽家に
京都駅で途中下車してもらい
名古屋からギターメーカーさんにも参加してもらって
京都駅ビルの11階で昼食を取りながらの製作会議
初めてお会いしたギターメーカーのY氏は
偶然にも私の高校の先輩でした

京都という街は
わざわざこちらから出向かなくても
皆さんが来てくださるんです
それが狙いでここに腰をすえたわけではないですが
先人たちの作り上げたこの由緒ある街に助けられています

洋服を創る者として
やはり海外に進出というのは夢の一つになります
しかし
ここ京都で毎日たくさんの外国人の方にお買い上げいただいてるうちに
その意味さえなくなって来ました
海外のコレクションに出たところで
それほど洋服は出回るわけじゃありません。
私の力不足も認めますが
過去に勤めたレーベルでその苦労と不毛感は存分に味わいました
海外の卸売なんて博打ですから
中間に入った業者が金持って逃げるなんて
中日ドラゴンズの勝率よりはるかに上です

cassowaryには
宣伝もしてないのに
海外の方が続々いらっしゃいます
大金使ってパリだのフィレンツェだの行くよりも
この街でじっくりと洋服を創り続けていた方が
結果的に私の創るmerphは海を渡って行くんです

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